東京点描Ⅱ

聞こえてくるもの


社宅の立ち退き期限が迫って引っ越した新居は河岸の丘、いわゆる河岸段丘というやつであろうか、とにかく古墳がある丘の裾野にあった。

河川敷はスポーツ少年少女にとって格好の練習場である。休日に窓を開けているとバットの快音がリズム良く響いてくる。近くでは叫んだり笑ったりしていたのだろうが少し距離のある我が家まで届くのは金属の鋭い音だけであった。

ここまで書いてふと記憶が甦ったが掛け声の記憶もある。ランニングなら家の脇の小道まで来ることもあったのか。記憶は曖昧で詳細は分明でない。

彼の地を訪ねた人ならばあそこはキリスト教が支配しているという表現も一笑に付すことはあるまい。駅の近くのカトリック教会は修道院も兼ねているのか巨大で十字を冠する鐘楼からは折に触れて高らかな響きが辺りを満たしていた。キリスト教は少なくとも鐘の音では仏教に勝っているというのが私の持論である。

道を歩いていた。何の変哲もない公園脇の道である。声がした。子供、それも外国人であるのは断片的に聞き取れる会話の意味が解しかねることからも判った。振り返るとドイツ人だろうか、ゲルマン民族らしい金髪碧眼の少年二人が角を曲がって行った。流石は田園調布、外国人も白人ばかりかと妙に納得して家路についた。

道を歩いていた。何の変哲もない公園脇の例の道である。声がした。子供、聞き取れる会話は英語である。さては英米人かと振り返るとなんと黒髪のアジア系、世にも珍しい(?)シンガポールの人か何かかと思って思わず目を凝らすと彼ら、どちらも日本人である。日本人が!日本の!それも東京で!英語をペラペラ捲し立てる!いやはや大した街だと半ば呆れ、半ば感心する始末であった。