これからの王の話をするとしよう

のっけから花の魔術師と大学教授を足して2で割ったような文言で。

現在世界に実権を持った王はほとんどいないし一人の人間が終身(ないし長い任期)で国を導くことはあまり好まれない。だからこの話題はもしかしたら机上の空論に過ぎないのかもしれない。

が、任期のある指導者は未来永劫存在するだろうし集団内の権力者について考えるということは多少なりとも意義があるのではないだろうか。

かつてイタリアはフィレンツェの外交官ニコロ・マキァヴェッリは追放していたメディチ家復権に伴ってクビになり、新たにローマ教皇となったレオⅩ世に上梓する形でいかに権力を得ていかにそれを維持するかを説いた『君主論』を著した。

彼の君主論は、分裂し諸外国の干渉を受けていた当時のイタリア情勢を反映してか民衆に善政を敷こうとする前に圧政で以て不満を抑え、強固な軍事力で外部勢力を退けるとするものであった。

これはそのまま現代に応用するにはいささか過激だがいまなお有名な言説である。

とまぁ先人の例を上げてみたがここで注目したいのは統治者に求められる資質である。マキァヴェッリは「ライオンの勇猛さとキツネの狡猾さを併せ持つ」人物をよしとしている。やや抽象的だがよく知られた表現で、歴史上の名君もこの特徴を(配分は人それぞれだが)持っている。

より具体的に要素を挙げてみよう。
イタリアの普通科高校で使われている教科書にこんな記述があるという。
『指導者に求められる資質は次の5つである。知性。説得力。肉体上の耐久力。自己制御の能力。持続する意志。』

ちなみにこの後教科書はその全てを持っていた人物はカエサルのみであったとしているがそれは置いておくとしてこの記述は検討に値するものであろう。

第一の知性。
馬鹿には政治は出来ない(はずであるが世の政界には馬鹿がいるように見える)。勿論学歴などではない。現実を見極めて適切な判断を下す力であろう。

第二の説得力。
カッサンドラの例を引くまでもなくどんな賢者も自説を受け入れられなければ意味がない。昔は弁舌だけでなく軍事力で主張を飲ませる人もいた。スラとかクーデター起こした人のことだ。

第三の耐久力。
「賢帝になったかもしれないが志半ばにして死んだ人物」は枚挙に暇がない。病身で権力を維持するのは困難であろう。改革者も殺されてしまえば所業は無に帰す。

第四の自己制御能力。
唐の玄宗にはこれが足りなかった。権力を持ってなお自分の欲望だけに走らないのは意外と難しいのかもしれない。

最後の持続する意志。
近年の日本の有権者にはこれがないのかも知れない。政策を結果が出るまで維持しなければ朝令暮改になりかねない。忍耐とでも言うべきだろうか。

まぁ他にも要素はある(時代に合っていたかとか)し純粋に幸運であったかどうかが評価を分けている気もするがつまるところ選んだリーダーに素質があるかは実際になってみてからではないと判断できないのだ。政治って難しい。